難病と生きる「孤高の書道家」――スマホ時代に問う「手書きの意味」  スマートフォンが普及し [ブログ]

難病と生きる「孤高の書道家」――スマホ時代に問う「手書きの意味」

 

 スマートフォンが普及し、多くの人が自分の手で文字を書く機会を失いかけている。そんな時代に、書家として実作も手掛けながら、組織や団体に属すことなく書の根源的な意味を探り続ける研究者がいる。高校で国語の教師を長く務めたあと、大学などで書道の講師を務めている財前謙さん(55歳)だ。

 

 

 財前さんは「手書き文字が伝達のツールとしてしか使われなくなった今の時代、書というジャンルは意味を持たなくなった可能性がある」と語る。では現代にあえて手で文字を書く意味はどこにあるのか。財前さんに聞いた。

 

財前さんは22歳から39歳まで国語の教員を務めていた。多くの子どもたちに接する中で違和感を覚えるようになったのは、現代の国語教育の在り方だ。例えば、漢字の書き方。漢字には正しい画数や書き順、トメやハネがあるという「常識」に対して、本質的ではないと感じていた。

 「本来、手書きの文字は出版物のフォントとは違うわけですから、書く人それぞれのスタイルがあっていい。でも、まじめな生徒ほど、型にはまった書き取り指導をされていますから、正しいトメやハネがあるのだと信じていたのです。でもガチガチな教育をたたき込まれたがゆえに、勉強が嫌いになる子どももいますよね。私はトメやハネがどうこうよりも、その文字が何と書いてあるかが重要だと思っています。一方で現場の教員たちは漢和辞典を参照して、トメハネが明朝体と間違っていれば×(バツ)を付ける。それが本当の『教育』なのかと思っていました」(財前さん)

 財前さんによれば、漢和辞典で示される「画数」は、あくまでも検索のための、いわば「編集上の都合」によるところが大きいのだという。財前さんは語る。

 「もともと手書きで書いていた文字が、印刷技術の発達によって印刷文字になったのですから、印刷した文字を手書きの参考にするというのは、歴史を踏まえれば実は本末転倒なのです」(財前さん)

 

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1903/28/news053.html


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